コピーライターも1つの職業なので、「職業病」というものがあるのかもしれない。

現に私は、何を観ても、何を読んでも「コピー脳」が無意識のうちに作動してしまう。

たとえば本を読んでいる時。

読み進めると同時に、しぜんと「文章のおかしな部分」が浮かび上がり、同時に「改善文」が脳裏に浮かんできてしまうのだ。

つまり添削するつもりはなくても、無意識のうちに「正解の文章」が浮かんできてしまうのである。

それは、「読点を打つ位置」までも・・・という精密さである。

夢のなかでさえ、文章を添削していることがある。

「添削している光景」を夢に見ているのではなく、きちんとした論理的な文章、文字を目で追っているのだ。

この「職業病」は、文章にとどまらない。

YouTube動画を観ているときにも、無意識のうちに「コピー脳」が作動する。

誰かがしゃべっている内容に関しても、「わかりづらい部分」「論理的に意味のとおらない部分」に敏感に反応してしまうのだ。

「そこは、そうじゃない。こうあるべきだ」

となってしまうのだ。

もちろん、YouTube動画にテロップが出ていれば、無意識のうちに「添削」してしまう。

それだけではなく、動画内で人の話している内容と「テロップ」を照合し、「この部分はそうじゃない。こう書くべきだ」と考えていたりする。

朝、新聞を読むときは、すべての広告に目を通すことはいうまでもない。

その際、ヘッドライン(キャッチコピー)に問題があれば、頭のなかで「反応の取れるコピー」を即興で作ってしまう。

このように、生活のすべてがコピーライティングで埋め尽くされている。

だからこそ、どのようなLPを目にしたとしても「適切な添削」ができるのだ。

ここまで透徹した「コピー脳」を備えているからこそ、1つのLPに対して、膨大な問題点を洗い出せるのだ。

ほかのコピーライターに同じことができるかというと、そういった人はなかなかいないだろう。

しかも、このコピーライティングスキルは、まだまだ進化し続けている。

自分のモットーは、「毎日1ミリの上達」だ。

すでに高いレベルに到達している自負はあるが、いつも自分に言い聞かせている。

「こんなもんじゃない。まだまだダメだ」と。

そうやって、”究極の極意”を会得するべく、日々、コピーライティングを追究しつづけている。

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